飲食店を始めいろんなお店の情報が載っているので大変重宝しています。
我が家でも毎号もらってきてはいろんな情報を仕入れています。
最新の2009年1月号をパラパラめくっていたのですが、最後のページに「みんなでひとり言」というリレーコラムがありました。
今号は「ペンネーム ポリス」さんという方が書いていました。
何気なく読んでいたんですが、次のようなことが書かれていました。
敷島の 大和心を ひととはば
朝日に匂ふ 山桜花
江戸時代の学者、本居宣長の歌です。枕詞とか文法的なことはわかりませんし、触れるつもりもありません。ただ、この歌の中に含まれる言葉を背負い、散っていった若者が数多くいるということを、頭の片隅にでもいいから留めておいて欲しいです。
(斜体部引用)
何を言いたいんでしょう????
全くわかりません????
もしわかる人がいたら教えて下さい。
本居宣長は、日本を、日本語を、和歌を、そして桜を愛した国学者です。
遺言で、自分の墓のそばに桜の木を植えてくれと残した人です。
この歌のどこに戦場で若者を散らせる要素があるんでしょう?
「ポリス」さんはどこでこんな間違った知識を植え付けられてしまったのでしょうか?
以前、たしか北海道新聞だと思いますが、次の和歌を引用したコラムがありました。
なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる
鎌倉時代に西行法師がはじめて伊勢神宮を訪ねたときの歌です。
普通にこの歌を読むと、伊勢神宮の荘厳さに自然と涙がこぼれ落ちてしまう、と読めると思います。
ところが北海道新聞のコラムを書いた記者は、歌の前半に注目して、西行法師は伊勢神宮に何がいるかわからない、伊勢神宮とは所詮そんなところだ、というような解釈をしていたと記憶しています。
(そのコラムを保存していないので、あくまでも私の記憶だけですが)
西行法師が伊勢神宮を、そしてそこにどんな神様が祀られているのかを知らないはずはありません。
万が一、この歌を詠んだ時点では知らなかったとしても、その神域の雰囲気に自然と涙を流しているのです。
「なにごとの」と詠んだからといって、決して伊勢神宮をつまらないものと詠んでいるとは誰も読み取れないと思います。
北海道新聞はよくこのようなミスリードを「あえて」します。
その意味では朝日新聞以上にあぶない新聞なのかもしれません。
時には「道新スポーツ(サンケイスポーツと提携)」の方がまともな記事を書いていることがあります。
せっかくですから宣長の歌を二首紹介しておきます。
朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人
それぞれ、食前と食後に歌っていた和歌です。
皆さんもいかがですか?
(H21.3.15追記)
このコラムの筆者が何のことを言っていたのかようやくわかりました。
特攻隊の最初の四部隊に、この歌から『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』と名付けられていたんですね。
全く私の勉強不足でした。
しかし、宣長が人の命を散らせるためにこの歌を詠んだのではないことは紛れもないことです。
この歌を利用したものに対する批判はかまいませんが、この歌そのものを批判するのは全く的外れです。
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