2009年1月30日金曜日

脳内メーカー


ハンドルネーム占いに引き続いて、いまさらながら脳内メーカーで遊んでみました。
見方によっては何となく当たっているかも…


ついでに
Nullpointを表す四字熟語
「騎乗下手」だそうです。

…わかる気がする…


さらについでに
Nullpointの生まれ変わり

ここまでくると意味がわかりません^^;

ハンドルネーム占い

ハンドルネーム占い結果
http://hname.net/
(3)(2)(1)(1)(2)(1)(2)(2)(2)
総運:21

大吉

頭脳明晰で魅力に富み、
成功が約束されている運気です。
指導力があり、リーダーとしての資質を備えております。
人の上に立つ事が理想的ですが、
孤高の存在になりやすいので、
信頼できる人を周りに置きましょう。

…だそうです。

当たっているんでしょうか?

2009年1月27日火曜日

泣いてまうやろぅ

更新が滞っています。
(閲覧者もいないんでしょうけどね^^;)

いつもは棘のあることばかり書いているので、今日は感動ネタで。



もとPanasonic Let's note 使いだけに、余計感動してしまいます。

2009年1月22日木曜日

エコ?エゴ?それとも…

今さらですが、世の中「エコ」ブームです。
大事なことだと思います。

でも、その中にも「???」と思うこともあります。

たとえば、「森林資源保護のために、割り箸は使わないようにしましょう」と言う人がいます。
本当にそうでしょうか?
賢明な方は、割り箸は間伐材から作っていて、けっして割り箸のために1本の木を切ったりしていないことはご存じだと思います。
少なくとも、みんなが毎食割り箸を使い捨てる、というようなことにでもならない限り、森林資源の無駄使いにはならないでしょう。

もしみんなが割り箸を使わなくなったら…
それでも、森林の育成のためには間伐が必要です。
間伐材の有効な利用ができなくなれば、間伐材が無駄になってしまいます。
間伐材の処分費用も発生するでしょう。
そうなれば、森林の手入れをするという作業が経済的に成り立たなくなってしまいます。
結果、森林が荒れ放題になり、森林保護なんてどこに行ったの?なんてことになってしまいます。

もうすでに、古紙や金属類の回収業者はそういう状態に陥っているでしょう。
いくら「資源の再利用・リサイクル」なって声を上げても、そのサイクルが止まってしまっては何にもなりません。
結局はゴミとして捨てられてしまうだけです。

「割り箸反対派」のあなた、そこまで考えていますか?


「レジ袋の廃止」も経済の面から見れば、全然エコではありません。
レジ袋を作るために使われていた原油が別の用途に使われるだけです。
だって、産油国は原油を売らなければ生活できないんですから…
産油量を減らして原油価格をつり上げることはあっても、原油の輸出をやめることは絶対にありません。

「レジ袋反対派」のあなた、そこまで考えていますか?

人の行動原理は結局、経済(エコノミクス)なんです。

2009年1月20日火曜日

泥よけ

雪解けの道を、松前まで行ってきました。
往復200kmです。

で、お願いがあります。
車には泥よけをつけて下さい!
ディーラーオプションはちょっと高いかもしれないけれど、ケチらずにつけて下さい。
特にFR、4WD車の皆さん。

前が見えなくなります。私の愛車が泥だらけになります。

私の運転は、前の車のタイヤが見えないくらい車間距離を詰めて走るのがウリなんですから…


2009年1月16日金曜日

駅伝?!

函館のゴミ回収は、各家庭の前に出されたゴミを回収車が巡回して処理してくれます。
回収車のチームは車を運転する人と、車に先立って各家庭の前からゴミを集めてくる人に担当が分かれているようです。
この車に先立ってゴミを集めて回る人たちが凄いんです。
ほぼ全力で、回収車が入っていけないような細い通りまで行き、ゴミを集めて回収車に放り込みます。
1日に走る距離はもしかしたら何十kmにもなるのではないでしょうか。
凄い脚力だと思います。
彼らで駅伝チームでも作ったら、そこそこの成績を残せるのではないでしょうか?

ゴミの収集は決して日なたの職業とは言えないかもしれません。
でも彼らのおかげで街の景観が保たれています。
彼らは素晴らしいポテンシャルを秘めています。

公園で、行動で、仕事をよこせと騒いでいるあなた!あなたにできますか?

私?
できません^^;
技術屋ですから…

2009年1月15日木曜日

成人式当日

今日1月15日は「本来の」成人の日です。

それはさておき、

今年、娘が成人式を迎えました。
娘は式典には出席しませんでした。
なので、もちろん私も会場には行きませんでした。

その会場にはこんな馬鹿がいたようです。
表向きは「ハコダテ150」の取材だそうです。

でも、非常識です。
狂気の沙汰です。
成人式への冒涜以外のなにものでもありません。

取材者としての節度も倫理のかけらも見られません。

いい年をした者が「ノリ」や「ウケ」だけで成人式を汚していいものではありません。
それを「ウケる」なんて応援してしまう仲間もなんて「ヌルい」仲間なんでしょう。

今年は娘の成人式(出席はしませんでしたが)だっただけに、余計腹立たしいです。

函館 大門

函館の大門といえば、函館市の繁華街・歓楽街でした。
しかし、いまでは空き地だらけの寂れた商店街です。

理由はいろいろあります。
産業構造の変化。
土地の利権ばかりに拘泥して有効利用を図ることのできない大地主。

いちばん問題なのは
「大門を牛耳っている人」「大門を愛し再興を願う人」が「イコール」ではないということでしょう。
「大門を牛耳っている人」の多くは、商売に長けた人です。
大門で食っていけなければ他の土地に移れば良いだけなんです。
今、大門で良い思いができるから大門にいるだけなんです。
すでに他の土地に店を構えてもうけのほとんどはそちらから稼いでいる人もいるでしょう。

一方、「大門を愛し再興を願う人」は何代にもわたって大門で商売をして、これからもたやすく他の土地に移ることのできない人です。
大門の歴史も知っているし、愛着もあります。
再興へのアイデアもいっぱい持っていると思います。
でも実行するために必要な資源がないんです。

いっそのこと、今「大門を牛耳っている人」がみんなよそに逃げて行ってしまってくれた方が大門の再興を図れると思うんですが、浅はかでしょうか?

技術屋ですから…

日教組・北教組

民主・輿石氏、日教組にエール? 「教育の政治的中立ありえぬ」
だそうです。
噴飯ものです。

教育基本法では
第14条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
 2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

とあるんです。

たとえ自分が(所属政党が)反対した法律であっても、成立し、発行した以上それを遵守するのが国会議員のつとめではないでしょうか?

いや、国民として当然のことと思います。

必要ならば法律を再度改正すればいいのです。

それが国会議員の職務です。

なのに、堂々と法律の無視を宣言してしまうなんて…

そんな国会議員を支持している日教組の先生に子供の教育を任せられますか?

日教組の先生の前では気に入らなければ校則無視をしてもいいんですね?


だいたい、学校の先生を「労働者」と考えるからいけないんです。

「先生」としての誇りを持てないような組織を作り、「先生」としての使命感に燃えている(であろう)若い先生を「組合」が「教育」するから、学級崩壊・学力低下…今の学校教育の惨状があるんです。

北教組も平成19年の大会で「学校へのAEDの一方的な導入に反対」なんて馬鹿なことをいっていました。

要は、AEDを使うための講習を受けると労働時間が増える、もしうまく使えなかったら責任問題になってしまう、ということなんですね。

このお馬鹿な労働組合はこれからもいろいろとネタを作ってくれるでしょうから、そのときに随時書いていきたいと思います。

技術屋ですけど…

2009年1月13日火曜日

新年会

松も明けて新年会シーズンになりました。
私も先週後半は4日間で3件の新年会がありました。
知り合いの中には金土日3日連続というハードな日程の方も…

その中でいちばん大きかったのが市内のPTA連合会の新年交礼会でした。
総勢600名余りの大新年会ですから、会場に入ったとたん目が回りそうでした。
その場で毎回目につくのが、学校関係者の教育長詣でです。
祝杯が終わって宴席が始まると、教育長の席には多くの人が群がり、時には行列ができたりします。
前任者の頃からは少し少なくなったような気がしますが、見ていて余り気持ちのいいものではありませんね。
たぶん、普段は余りお目にかかれないので、純粋に新年の挨拶のつもりなんでしょうけど…
学校ではしっかり子供達の方を見ていてくれれば何も言いませんけどね。

そのときの私ですか?
PTA役員の若いお母さん達と楽しく飲んでました。
当たり前でしょ^^

2009年1月12日月曜日

成人式

今日は国民の祝日「成人の日」ですね。

朝からテレビでは、酒を飲んで暴れている各地の成人式の様子が流れています。
沖縄なんて、問題になっている駐留米軍の一部の軍人よりたちが悪いんじゃないでしょうか?
本人達は大人になった(と勘違いして)あのような暴挙を働いているのですから、モザイクやぼかしはなく、馬鹿面を晒せばいいと思います。

もちろん、暴れているのはごく一部の馬鹿者で、ほとんどの新成人はそれなりに自分のこれからを考えているんだと思います。

とにかく
新成人おめでとう!
これからの日本・世界は皆さんの肩に掛かっています。

ひとり

私は人を楽しませたり、仲良くやっていく能力に欠けているようです。
会話やコミュニケーションがうまく続かないことがよくあります。

それでも大人として笑顔で取り繕ったり、気を遣うこともできなくはありません。


でも、
相手に無理に気を遣わせてしまったり、
一緒にいても寂しいと感じてしまうなら、

いっそ、ひとりの方がいい

2009年1月10日土曜日

ダテパー

函館には『ダテパー』というフリーペーパーがあります。
飲食店を始めいろんなお店の情報が載っているので大変重宝しています。
我が家でも毎号もらってきてはいろんな情報を仕入れています。

最新の2009年1月号をパラパラめくっていたのですが、最後のページに「みんなでひとり言」というリレーコラムがありました。
今号は「ペンネーム ポリス」さんという方が書いていました。
何気なく読んでいたんですが、次のようなことが書かれていました。

敷島の 大和心を ひととはば
朝日に匂ふ 山桜花

江戸時代の学者、本居宣長の歌です。枕詞とか文法的なことはわかりませんし、触れるつもりもありません。ただ、この歌の中に含まれる言葉を背負い、散っていった若者が数多くいるということを、頭の片隅にでもいいから留めておいて欲しいです。
(斜体部引用)

何を言いたいんでしょう????
全くわかりません????
もしわかる人がいたら教えて下さい。

本居宣長は、日本を、日本語を、和歌を、そして桜を愛した国学者です。
遺言で、自分の墓のそばに桜の木を植えてくれと残した人です。
この歌のどこに戦場で若者を散らせる要素があるんでしょう?

「ポリス」さんはどこでこんな間違った知識を植え付けられてしまったのでしょうか?


以前、たしか北海道新聞だと思いますが、次の和歌を引用したコラムがありました。

なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる

鎌倉時代に西行法師がはじめて伊勢神宮を訪ねたときの歌です。 

普通にこの歌を読むと、伊勢神宮の荘厳さに自然と涙がこぼれ落ちてしまう、と読めると思います。
ところが北海道新聞のコラムを書いた記者は、歌の前半に注目して、西行法師は伊勢神宮に何がいるかわからない、伊勢神宮とは所詮そんなところだ、というような解釈をしていたと記憶しています。
(そのコラムを保存していないので、あくまでも私の記憶だけですが)

西行法師が伊勢神宮を、そしてそこにどんな神様が祀られているのかを知らないはずはありません。
万が一、この歌を詠んだ時点では知らなかったとしても、その神域の雰囲気に自然と涙を流しているのです。
「なにごとの」と詠んだからといって、決して伊勢神宮をつまらないものと詠んでいるとは誰も読み取れないと思います。

北海道新聞はよくこのようなミスリードを「あえて」します。
その意味では朝日新聞以上にあぶない新聞なのかもしれません。
時には「道新スポーツ(サンケイスポーツと提携)」の方がまともな記事を書いていることがあります。

こんな新聞を読んで育ってしまうので、北海道では外国人に参政権を与えて票を稼ぎ政権を取ろうとする政党の議員がいっぱい当選してしまうんでしょうね。


せっかくですから宣長の歌を二首紹介しておきます。

たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ

朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人

それぞれ、食前と食後に歌っていた和歌です。
皆さんもいかがですか?
(H21.3.15追記)
このコラムの筆者が何のことを言っていたのかようやくわかりました。
特攻隊の最初の四部隊に、この歌から『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』と名付けられていたんですね。
全く私の勉強不足でした。
しかし、宣長が人の命を散らせるためにこの歌を詠んだのではないことは紛れもないことです。
この歌を利用したものに対する批判はかまいませんが、この歌そのものを批判するのは全く的外れです。

2009年1月5日月曜日

賞味期限

函館では、1月7日に去年のお神札や正月飾りを焼納する「どんど焼」が神社やお寺で行われます。

そんなわけで、知り合いの神主さんに聞いてみました。

その神主さん曰く、最近神社への問い合わせでよくあるのが、
「お神札やお守はいつまで有効なんですか?」
というものだそうです。

最近の食品の賞味期限偽装などの影響でそういう発想になってしまうんでしょうか。

その神主さんが言うには、神棚にお祀りしている神宮大麻(『天照皇大神宮』)や氏神さんのお神札(『○○神社』)は普通新年を迎えるにあたり新しいお神札に取り替えるので、次のどんど焼きの時に焼納すればよいということです。
では、そのほかのご祈祷を受けたときに頂いたお神札やお守りはどうすればいいのか?
これはその後祈祷の願意がかなったとき、或いは新しいお神札やお守りを頂いた後に神社に納めて下さいとのことでした。
なるべくそのお神札やお守りを頂いた神社に納めるようにしましょう、とのことです。
お神札やお守りには「賞味期限」なんてものはありませんよ、と笑っていました。

こういう事は昔は家庭や地域で代々受け継がれてきたことなんでしょうけど、今は伝承という糸が切れてしまっているんでしょうか?

よくわかりませんけどね。私、技術屋ですから…

アスパラ

この辺で、このブログのタイトルが何故『アスパラなんて大っ嫌い!!!』になったのかを書いてみたいと思います。

もともと子供の頃からアスパラは嫌いでした。
でも、子供の頃は嫌いでも大人になるにしたがって食べられるようになるものってありますよね。
でも、アスパラだけはダメだったんです。
何故か…

たしか小学校高学年の頃だったと思います。
食卓に嫌いなアスパラが出ました。
もちろん食べたくありません。
でも、親に無理矢理食べるようにいわれました。
親としてみれば当たり前ですよね。
私だって子供達には好き嫌いせずに食べるように指導します。

でも、そのとき私は心に決めてしまったんです。
「大人になって、自分の食べるものを選択できるようになったら、絶対にアスパラだけは食べないぞ!」と

その後、高校を出てから十年余り一人暮らしをしました。
もちろん、アスパラなんて食べるはずがありません。
そのうちにどんな味だったのかも忘れてしまいました。

私の親しい人はみんな私がアスパラを大っ嫌いだということを知っています。
いつも美味しいお酒や肴を出してくれる居酒屋さんのカウンターにもアスパラが山盛りになっていたりするんですが、私が行くと気を遣って隠してくれたりします。
(迷惑な客ですよね^^;)

「アスパラを食べてはいけない」ということは我が家の家訓になりつつあります。
だって、アスパラってもともとは観葉植物だったんですよ。
それでも妻や娘は私がいないときにこっそり食べてたりしますが…








話は変わって、人間関係でも私にとって「アスパラ的」な人というのがいます。
決してその人が悪い人だとかというわけでもないんです。
私以外の人にとってはいい人だったりします。
ただ私との関係の中でちょっとした行き違いがあって、私にとってはアスパラと同じように関わりたくない人になってしまったんですね。


つくづく私は面倒くさい人間だと思いますよ。
でもいいんです。私、技術屋ですから…

2009年1月1日木曜日

ひなちゃんの日常


産経新聞朝刊1面に掲載されている『ひなちゃんの日常』、いいですよ。
ひなちゃんをはじめ登場人物のピュアな様子が優しい気持ちにさせてくれます。












…で、私の記事が終わるわけがありません。

この漫画の感想をただ「優しくなれます」「癒されます」なんて書くのは簡単です。
(この漫画の感想をそんな簡単なありふれた言葉で表現すること自体間違っているんですよね)

(私は漫画は書けないので)文章を書いたり、人に話したりしたときに、私の器ではこの漫画のように「優しい」「癒される」ものを書いたり話したりすることは不可能だと思います。

ただ、私は『この漫画の良さを自分が表現しきれないこと』『自分が他人に対して同じように表現できないこと』を知っています。
この『知っている』ということが大事なんだと思います。

ドラマ『CHANGE』の中の木村拓哉扮する朝倉総理がアメリカの通商交渉代表に対して「自分が他と違うこと、他が自分と違うことを知ることが大切なんです」(正確な台詞ではないと思いますが)と話していました。
まさしくその通りだと思います。

「優しくなれました」「癒されました」で済ませてしまうのは簡単ですが、そこから己の器を知ること、他との違いを理解すること…どれだけの人間ができているんでしょう。

…なんてこと書いてみましたけど、
うまく伝えられませんね。私、技術屋ですから…