2009年3月18日水曜日

旅行記(津和野・太皷谷稲成神社)


太皷谷稲成神社は「鼓」ではなく「皷」です。
「稲荷」ではなく「稲成」です。

普通「イナリ」は「稲荷」と書きますが、他に「稲生(飯生)」「稲成」と書く場合があります。
「生」は稲が芽を吹く春を、
「成」は稲が育つ夏を、
「荷」は育った稲を刈り取って荷う秋をイメージしているそうです。

太皷谷稲成神社は日本五大稲荷の一社と言われています。
五大稲荷とは
・伏見稲荷大社
・竹駒稲荷神社
・笠間稲荷神社
・太皷谷稲成神社
・祐徳稲荷神社
をいいます。
(伏見稲荷大社より下は北より順番に挙げています。また違う組み合わせを挙げる場合もあります。)

ちなみに、私の息子の名前は、彼がまだ妻のお腹の中にいるときに私が参拝した祐徳稲荷神社さんよりいただいたという説があります。(??)


太皷谷稲成神社参拝の後、津和野の街を散策しました。
私にとっての津和野のイメージは、山口線SLの駅というイメージでしたが、実際はもっと素晴らしいものでした。
津和野藩は大きな藩ではありませんでしたが、教育に熱心な藩でした。
みんなが知っている有名人の代表は森鴎外でしょう。
その他にも、初代札幌市長高岡直吉・第3代北海道帝国大学総長高岡熊吉兄弟や西周など近代日本建設に貢献した人物が多数輩出しています。

大事なのは、そんな人物を輩出した土地柄を、今もみんなが誇りに思い、これからもその精神をついでいこうとしているところにあると思います。

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